top of page
海嶺6.jpg

原作者のことば   三浦綾子

「海嶺」パンフレットより

  十数年前名古屋のキリスト教書店聖文舎社長田中啓介氏に招かれて講演に出かけた。その時田中氏は、「是非小説に書いていただきたい事件がある」と私達夫婦を知多半島小野浦に案内してくれた。そこではじめて私は、この悲劇を知り感動した。

さて感動したものの、まったく書く気になれなかった。世界を舞台とするこの物語は、あまりにもスケールが大きく私の手にはおえないと思ったからである。

忘れるともなく、それから数年が過ぎた。そのころ「週刊朝日」から「天北原野」に続いて二度目の連載依頼の話があった。その時どうした訳か、私はこの悲劇を編集者に語った。すると編集者は、是非それを書いて欲しいと言われた。何とも不思議な次第であった。書く気がなかったのに、なぜこの物語を私は編集者に語ったのか。実は後で知ったことだが、キリスト者である田中氏が、この小説のために、数年の間毎日かかさず祈り続けていたのである。

  連載が決まってまもなく、私はこの映画製作者の長島清氏から電話を受けた。「是非、映画にしたい素材があるのです。それをまず小説にして下さい。」

 そう依頼して来たのが、実にこの「海嶺」の話であった。すでに、「週刊朝日」に執筆が決定していると知った長島氏は、1日体の震えがとまらなかったという。なぜなら氏も又田中氏と同様、心ひそかにこのために切なる祈りを捧げてきたからであった。私もこれを単なる偶然とは到底思えなかった。

   という訳で、「海嶺」はまさにこの二人の祈りによって、始められたといえる。さらにこの映画化にあたって、全国に祈りの輪が拡がりつつある。映画にたずさわる全ての方々も又、祈り心を持ってこれにあたってほしいと思う。そしてこの映画が、多くの人の心を打ち、真の実存とは何かをそれぞれの人生に問いかける作品となることを、心から期待してやまない。

Shiokari Pass_012.jpg

原作者のことば   三浦綾子

「塩狩峠」のパンフレットより

観客のすすり泣く声の中に映画は終わった。

私もまた、自分が原作者であることも忘れて、泣きながら見終えた。

これほどに、監督、カメラマン、俳優、その他製作関係者一同の真実と熱情の込められた映画があるだろうか。

ここには、乗客全員を救わんとして、塩狩峠にその若き命の捧げたモデル長野正雄氏の真実と、関係者一人ひとりの真実が、見事に結合されている。言い難い深い感動が、この映画にある所以であろう。

bottom of page