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映画「ボンヘッファー」
クリスチャンメディア試写会 レポート

クリスチャン関係者の感想、市場調査のために、クリスチャンメディア試写会が告知解禁前に開催されました。
​外部出席者 35 名、アンケート回答23名
回答率65.7%(6月8日現在)平均満足度 

​4.4

​主なご感想

当時の状況が映像からよく伝わってきた。
かつての大きな失敗から信仰者が学ぶべき点が多くあり、そのことが映画を通して伝わってきます。多くのクリスチャンはもちろんのこと、みなさんに観て考えていただきたい映画だと思いながら観させていただきました。

戦後80年を迎える今年、ほぼ戦争を知らない世代の時代になっていますが、本映画は戦争の中、牧師として信仰を貫き、具体的に信仰者として行動したボンヘッファーの生き様が克明に描かれていて見応えがありました。信仰継承と平和を勝ち取るための良き教材でした。

これまで自分の中で十分に構築できていなかったボンヘッファーの生涯が明らかになったように感じました。日本で未信者に伝える際には、若干訳出不十分では?と思われる字幕もいくつかありましたが、それはパンフレット等で補えるとよいのかもしれません。最後のボンヘッファーのことばが次々と紹介されるところは、一部しか字幕が出てきませんでしたので、できれば一通り訳出されているとありがたいと思いました。

ボンヘッファーの人柄について知る事ができました。戦争や人種差別、平和について考えることができました。

生涯をくわしく知らない人は、頻繁に切り替わるアメリカとドイツの場面を理解するのに戸惑うのではないかと思われた。ラストシーンには胸を打たれたが聖書を知らない人にどこまで伝わるだろうかとは感じた。宗教色の強い映画、というのはその通りだろう。わかりにくい箇所がいくつかあったためもう一度見て、理解を深めたい。

非常に良い映画でした。
信仰とは何かという事を改めて問う機会になる作品だと思います。教会に足を運ぶ事、教会の席を埋める事が目的ではなく、その先に何を信じるかが大事なのだと強く教えられる作品だと感じました。
堕ちていく教会とそれに抗うボンヘッファーの姿勢と説教の対比が良く表現されていましたね。
宗教なきキリストという言葉が、ノンクリスチャンである私には印象に残っています。

とても心揺さぶられる内容でした。福音と信仰表明の励ましがしっかりと描かれているこの作品がひとりでも多くの日本人の目にとまることを祈っています。

ボンヘッファーの波乱に満ちた生涯を2時間にまとめるというのは至難の業だと思いますが、地味ながらも「こういう生き方がある」ということを示す点で意義深い作品だと思いました。日本で公開されるのは画期的なことだと思います。
すばらしい機会をありがとうございます。

ボンヘッファーとアメリカの関係が詳しく描かれていたのが興味深かったです。

時系列、舞台となる国、場所が点々とするため1度だけ観てもやや難解。玄人向き。

牧師以外にPRするのが難しいと感じた。

80年以上前の話でありながら、今の日本社会、また今のカトリック教会の現状に酷似しているため、自分の問題として映画を見ることができました。今、わたしはどうすればいいのかという強い問いかけを感じ、時空を越えてボンへッファー牧師から激励を受けたような深い映画でした。

ボンヘッファーについて、知っているようでいて、よく知らないことを、あの映画を通して知ることができました。また、告白教会でのボンヘッファーの位置についても新鮮な視点で見ることができました。
また、牧師ニーメラの言葉はとても有名ですが、彼がどのような立場であったのかをよく理解していませんでした。映画を通して、権力と大衆の欲望がいとも簡単に危険な社会へと作り変えると感じました。不安定な時代を生きる今こそぜひ多くの方に見ていただきたい作品です。

ボンヘッファーの牧歌的な家庭像やハーレムでの生活など、案外焦点が当てられなさそうな場面も忠実に再現されていることに驚きました。また彼の信じる言葉とこの世界との間にある矛盾や亀裂に、一人のクリスチャンとしてどのように眼差せばよいのかという葛藤から信仰を見た気がします。
あと細かいなと思ったのはボンヘッファーがイギリスに滞在している場面、彼の名前が呼ばれる際に“ディートリヒ“ではなく“ディートリック“とBritish Englishに変換されていたことです。個人的には製作者の細部に至るまでのこだわりを覚えました。
対応が可能か分かりませんが一点、より映画を見やすくするためにご提案させていただきます。それは時系列の挿入です。例えば幾度となく挟み込まれていたボンヘッファーの獄中でのシーン。あれは一つの場面を細分化しているものです。他方アメリカ滞在について、彼はユニオン神学校時代と亡命時代の少なくとも二度断続的に渡米しています。ですがあの場面、時系列を把握していないと結局彼がどこで何をしていたか、突然タイムループしたような形に見え、視聴者が混乱するのではないかなと思いました(実際そのような意見も)。
そのため邦訳版だけ、右上などに━年など、挿入出来ないものでしょうか。これの有無だけでかなり映画への没入感も変化すると考えられます。
あと彼が二度目の渡米から帰国するきっかけとなった『ローズンゲン』の言葉が登場しなかったのは少し寂しかったですね。まぁこれは監督の判断でしょうが。
総合的に見て非常に面白かった映画だと思います。また私自身、学士論文及び修士論文でボンヘッファーを取り扱い、現在も彼に関する連載を書いており、まぁ研究者とは程遠いですが少し詳しい(かも?)という立場として、本作の史実性はかなり高いと思いました。大体個人の伝記の類はそれなりの脚色がされることもありますが、本作ではほとんどそのような光景は見受けられなかったと感じました。そしてボンヘッファーの生涯を忠実に再現することは、ボンヘッファーの信仰を忠実に再現することでもあります。ここに本作の最大の魅力があると思います。

日本が軍事、原発の再稼働などあらゆる面で国家権力による統制を強められつつある今、日本のキリスト者はナチス政権下を生きたボンヘッファーと同様、信仰とその実践とが試されていると感じた。戦争が続いている現実に目覚めさせてくれる貴重な作品。ご紹介頂き、感謝致します。

クリスチャンはしばしば、「平和」を掲げてただ祈るだけの、受け身な信仰に陥りがちです。特に教職者は聖書に忠実であることが求められる立場にあり、日々、謙遜さや「敵を愛する」ことの難しさと向き合っています。
映画のタイトルを見たとき、「暗殺」という言葉に、牧師なのに行き過ぎではないかという印象を抱きました。しかし、実際に映画を観て、当時のドイツの状況を知るにつれ、もし自分があのような立場に置かれたなら、私もまた一歩を踏み出していたかもしれない、と感じました。
ボンフェッファーは祈るだけではなく、悪に対して祈りつつ行動する姿勢を貫きましたが、その信仰の在り方に、私は大きな励ましを受けました。
自分自身の信仰と行動を問われるような、非常に感銘深い作品であり、多くの方にぜひ観ていただきたいと思います。
また、ボンフェッファーがBorn againしたのがハーレムの黒人教会であったこと、彼自身が音楽家であり、黒人音楽から影響を受けていたことにも、深い共感を覚えました。私自身も黒人教会で救われ、ゴスペルと共に信仰を育んできた者として、とても嬉しく思いました。
黒人教会の礼拝は、神を礼拝するだけではなく、社会の底辺から神に向かって魂の叫びをあげる場でもあります。
何不自由なく、形式的な神学を学ぶために留学していたボンフェッファーが、ただのエリートで終わらず、真に篤い信仰者へと変えられたのは、まさに彼がそこから受け取ったものによるのだと、私は確信しています。
最後に、一昨年ポーランドのアウシュビッツを訪れた経験もあり、ナチスの行った非道な行為に対して、ドイツという国に偏見を抱いていた。
しかしこの映画を通して、当時のドイツの中にも、ナチスに対抗し、命をかけて戦った人々が確かに存在していたことを知り、その偏見が解かれました。
一人ひとりの信念と行動が、時に国家の流れに逆らってでも、正義を貫こうとする姿に、深い感銘を受けました。

国家に対して教会がどうあるべきか、とても良く分かる。ドイツだけでなく、全ての教会に向けられた内容。最後の聖餐式の場面は感動するし、教会の素晴らしさを改めて思わされる

戦争に向かっていく国、教会の姿が、クリスチャンのみならず、ノンクリスチャンの方も、是非見て欲しい作品です。

この手の映画は本当に考えさせられる。正義とは、神の御心とは、自分にとっての使命とは何か、と。
ボンヘッファーも日に日に死に追いやられるユダヤ人達を看過できず、これは義だと、自分の使命だと信じ、ヒットラー暗殺を企てたのだ。神を信じる者として 尚更 悪を許せなかったかに違いない。
と同時に 80年前の歴史を思う。原子爆弾が日本に投下されたことを最後に 第二次世界大戦は終わった。20万人近い死者を出した史上最悪の兵器。しかし、これ以上戦争による犠牲者が出ないためにアメリカが終結させたと ヒーロー気分で原爆を正当化するアメリカ人たちがいる。 
確かにそうかもしれない。原爆が落とされなければ戦争はさらに長期化し、負の歴史はいつまで続いていたのかと思う。人間は正義と称して、悪を働くのだ。
ボンヘッファーが 伝道師でありながら ユダヤ人の命を守るためヒットラーの命を狙うという行為は 神の目にどう映ったのだろう。しかし最終的に計画は失敗し、彼は絞首刑で 自らの命を絶つ。獄中からボンヘッファーをずっと見てきた看守が彼を逃亡させようとするが、彼はそれを拒み、晴れやかな顔で天を見上げ、処刑台に進んでいく姿は 心を打った。 
間違いを犯そうが、どんな歩みをしようが、私たちの神を愛する思いを神は喜ばれる。
そして私たちは いつか その神のおられる御国に招かれる。
なんという希望であり幸いだろう!

クリスチャンとして信仰に立つ勇気が励まされました。ボンフェッファーの生きた反ユダヤ人の世界は今も続いており、激しさを増していることに悲しみを覚えます。またいろいろな思想が入り込み、終わりの時代に神さまが私たちをどのようにご覧になっているかを問いかけられる映画でした。試写会の恵みを感謝します。たくさんの方に観て頂きたいと思いました。

抵抗すべき時代に突入したときの予行演習となった

ユニオン神学校時代のボンヘッファーと黒人教会のありようの関連などが描かれていて、非常に興味深く拝見しました。また、聖餐の場面は、裂かれ与えられるということの意味が切実に感じられて、日頃の聖餐式の光景と重ね合わせながら、様々なことを考えさせられました。
しかし、俳優の問題なのか、著作から感じるボンヘッファーのキャラクターとは少々距離があるように感じられ、正直、あまり深い宗教性が感じられないところを残念に思いました。
私はクリスチャンではありませんが、たとえ信仰をもっていなくても理解できる深い、普遍的な宗教性というものはあります。史実は追っているものの、その部分を実感できなかったところが、信仰を持たない一般の人間にとって、とても中途半端な感じを受けました。
聖餐式から処刑台に向かうところは、心揺さぶられます。しかし、処刑された瞬間のピカーっという光はいただけない。表現が少々安っぽい感じがいたします。

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