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日本人のための伝道映画「塩狩峠」から「海嶺」の誕生物語編 神の恵みとその裏話㉑

更新日:2022年4月18日

1971年頃、ビリー・グラハム伝道協会の映画部門ワールド・ワイド映画の「断絶」「逃走」などを上映していた日本人スタッフは、日本人に合った福音伝達の必要性を感じていました。そこで、アメリカの本部に三浦綾子原作「塩狩峠」の映画化の提案をしたのです。最終的に提案は受け入れられましたが、アメリカのワールド・ワイド映画スタッフで撮影するとの返事でした。

これに、日本の責任者で、いのちのことば社の当時の代表だったマクビーティ宣教師が反対しました。 「明治に生きた日本人を外国人が描き出せるものではない」。その結果、松竹映画に製作依頼することになり、名匠中村登監督がメガホンを取りました。原作者の三浦綾子さんも、「映画館にかけられるしっかりとした映画を作ってくれるなら原作料は要りません」と言われたそうです。