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執筆者の写真Michio Isokawa

神の恵みとその裏話㊳ どうしても製作したい「神の沈黙|キリシタン弾圧と原爆の歴史」ドキュメンタリー作品 クラファンいよいよスタート!!

更新日:5月17日



先日、「BSフジサンデープライム、日本遺産物語 長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」を観ました。長崎、平戸、五島、天草などが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に選ばれてから、こういったキリシタン弾圧を扱うドキュメンタリー作品を多く観ます。また、YouTubeにも、沢山の方がこのことをテーマに動画をアップされています。

BSフジサンデープライム、日本遺産物語

それらの番組のテーマの根底にあるのが、「共存」です。潜伏キリシタンが生きて来られたのは、お寺が彼らの存在を知っていたが、黙認していた。また、キリシタンたちも、そのことを知っていたので、キリシタン禁令解除後は、仏教に戻ったり、またはお寺の再建に多額の寄付をしたりした、などが取り上げられ、それが現在の世界の対立を解決する鍵になるかのように説明します。

とても日本人らしい解釈で、共鳴しそうになるのですが、何かが違う気がしています。

私が、このキリシタン弾圧に興味を持ったのは、遠藤周作の「沈黙」が、スコセッシ監督によって映画化され、日本公開の宣伝協力をしてからです。

本当はどうだったのだろうかと、定年記念に妻とレンタカーでガイドさんと一緒に、その地域を回りました。


「崩れ」の意味さえ知らなかった私は、信仰のために殉教していったキリシタンの姿に心を打たれ、またその悲劇は、豊臣、徳川時代だけでなく、明治維新前後にも起こっていたことを教えられ、さらに、潜伏キリシタンの摘発も数回なされた浦上、踏み絵が行われた庄屋屋敷に1880年に建設された浦上天主堂が、65年後の1945年8月9日、原爆で破壊され、その会堂の中では赦しの秘跡(告解)の順番を待っていた信徒がいたことを知りました。

それから、遠藤周作が投げかけた「神の沈黙」の視点から、この二つの迫害について考えるようになりました。


原爆記念館内、浦上天主堂

「潜伏キリシタンは何を信じていたのか」の著者、宮崎賢太郎氏は、この本の中で、「キリシタンは、迫害にも耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した」というキャッチフレーズは間違いで、「キリシタンを隠れ蓑として、仏教というスタイルを用い、先祖に対する篤い信仰を守り通してきた」だけだとしています。もともとキリシタンは集団改宗しただけなので、教理を理解しておらず、先祖から言い伝えられてきたものを、ご先祖様に申し訳ないからと守ってきただけだと主張しています。

今でもカトリックに戻らず、かくれキリシタンを続けている村上茂測氏も、映画「沈黙 -サイレンス」のスコセッシ監督記者会見でお会いした時に、「自分たちがカトリックに戻らないのは、先祖からも守ってきたものをやめるわけにはいかないからだ」と言っていました。

ではなぜ250年間の潜伏を破って、まだ禁教時代なのに、危険を顧みずに、フランス人のためにできた大浦天主堂に、潜伏キリシタンの村人たちは出かけたのでしょうか。

浦上天主堂 ©長崎県観光連盟

「私たちの心はみな、あなた様の心と同じでございます」とブチジャン神父に告白したイザベリナ杉本ゆりの動機はなんだったのでしょうか。

また、その後、浦上のキリシタンたちは、神父に会うと信仰に目覚め、キリスト教式で葬儀をするからと、聖徳寺の僧侶による仏式の葬儀を断ってしまいます。寺請制度があるのに、聖徳寺とは縁を切りたいという旨を庄屋に申し立ててしまうのです。

その結果、激しい迫害が起こります。浦上4番崩れです。

萩に流されたつる、21歳は、雪の日に腰巻一つで裸にされ、1週間、雪に埋もれて黒い髪だけが白い雪の上に見えていたそうです。しかし、信仰を捨てませんでした。

また、五島崩れも起こります。久賀島では、200名の潜伏キリシタンが、立ったまま押し込まれ、ごはんは朝晩のお芋、汚物は垂れ流し、8か月も閉じ込められました。

10歳の少女、マリア・タキは、熱病に冒され、髪の毛は抜けてやせ細っていたが、少しも悲しさを見せず、「私はパライソに行きます。お父さん、お母さん、さようなら」と挨拶して亡くなったそうです。

川原慶賀筆「踏絵図」

先祖からの言い伝えを守っていだだけで、これだけの迫害に耐えることができるでしょうか。彼らが、真理の道だと信じていたからではないでしょうか。

私を導いてくれた牧師に、「今のクリスチャンと昔のクリスチャンの違いはなんですか」と尋ねると、即座に、「覚悟が違います」と言われました。彼らには、主に従う覚悟、犠牲を払う覚悟、そして、天国への希望があったのでしょう。

潜伏キリシタンたちは、絵踏みをした後、「コンチリサンの祈り」(悔い改めの祈り)をしていました。遠藤周作は、キリシタンが、マリア観音を隠し、聖母マリアへの愛着が極めて強かったのは、厳しい父なる神ではなく、赦してくれる母のイメージを求めたからだと言っています。

彼らは、罪の赦しを求めていました。聖書も宣教師もいない潜伏時代に、先祖から伝えられたマリア観音と「コンチリサンの祈り」が頼りだったのでしょう。

250年間、日本で、ゼウス(主)への祈りが途切れなったことを、主はどう思われていたのでしょうか。

キリシタン拷問 逆さ吊り

「沈黙」に出てくるファレイラも、ロドリゴ(実際はキアラ)も、キチジロウも、強気者も弱気者も、イエス・キリストの十字架の恵みにより、彼らの祈りを聞かれた主によって、赦されたのではないでしょうか。

また、キリシタン禁令が解かれた後に、赤痢が流行った外海の地で、フランスから自分の全財産を捧げて救済活動をしたド・ラ神父や、原爆が落ちた後、自ら被爆し重傷を負いながらも、被災者の救護に奔走した永井隆博士の、神を呪わず、愛の行動に出た姿には、彼らの心の中に、主の愛が灯っていたとしか考えられません。

私は、長崎の美しい夜景を観ながら、神は沈黙しているのではなく、どんな状況にでも共にいてくださること、そして、あれだけのキリシタンの犠牲の血潮が流された日本を主が見捨てるわけがないと考えました。

こういった視点からのキリシタン迫害、原爆の被災を、特にプロテスタントの皆様にもっと知っていただきたいと願い、「沈黙」ゆかりの地で 神の前に静まる心の旅ツアーを行ってきました。2024年の秋で5回目になり、100名以上の方が、長崎、五島を訪問してくれることになります。

ツアー 二十六聖人記念館前

 しかしもっと多くの皆様に、この事実を知っていただきたく思い、ライフ・クリエイション(いのちのことば社)とクリスチャン映画を成功させる会がタイアップして、「神の沈黙? キリシタン弾圧と原爆」というタイトルでドキュメンタリー作品を製作することにしました。

しかし、製作資金はありません。そこで、クラウドファンディングによって皆様からのご支援で製作したいと願っています。

どうぞよろしくお願いいたします。


義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

                                  マタ イ5:10


クラウドファンディングに関しましては

ツアーに関しては → https://www.chfilms.net/tour







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