神の恵みとその裏話㊽ 殉教と希望をたどる旅路、ここに結実。『神の沈黙 ―キリシタン弾圧と原爆―』完成!
- Michio Isokawa
- 6月29日
- 読了時間: 4分

2025年、長崎は被爆から80年の節目を迎えます。この記念すべき年に誕生したドキュメンタリー『神の沈黙 キリシタン弾圧と原爆 』は、長崎という地に刻まれた信仰と苦難、そして希望の軌跡を、キリスト者の視点から深く見つめ直す作品です。
2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録され、2024年には日本被団協がノーベル平和賞を受賞するなど、この地の歴史と祈りは、今まさに世界に向けて語りかけようとしています。本作は、そうした歴史的節目の中で「神の沈黙」という問いにどう向き合うかを、私たち自身に投げかけるものです。
製作はクラウドファンディングによって支えられ、多くの方々の祈りと想いが結集しました。目標金額を大きく上回る支援が寄せられたことは、このテーマに対する深い共感と関心の高さを物語っています。
監修は東京基督教大学特別教授・山口陽一先生。ナビゲーターを務める久米小百合(元・久保田早紀)さんは「これは私にとって、大きくて、深くて、重いテーマ」と語り、祈りとともに長崎の地を巡ります。

第1章では、このドキュメンタリーへの久米さんの想いと共に旅が始まり、第2章では原爆が投下された信仰の町・浦上を訪ねます。「なぜ浦上だったのか」という問いが、永井隆記念館や平和祈念式典の静けさの中で重く響きます。
第3章では日本二十六聖人の殉教に焦点が当てられ、言葉では語り尽くせぬ信仰の重みが胸に迫ります。第4章では遠藤周作『沈黙』の舞台・外海(そとめ)へ。禁教下でも密かに守られ続けた祈りの言葉——オラショが静かに語られます。 キリシタンたちは、なんと7代・約250年にわたって、このオラショを絶やすことなく唱え続けてきました。たとえその意味を知らずとも、彼らの祈りを神は確かに聞いておられたのです。彼らは単に先祖の教えを受け継いだのではなく、「罪の赦しを神父様からいただきたい」という深い霊的渇望から信仰を守り続けました。そしてその祈りの根底には、地上の苦難を超えた「天国への希望」が確かに息づいていたのです。
第5章では五島列島に逃れた信徒たちの証しに光が当たり、殉教した少女マリア・タキの最後の言葉が、静かに私たちの心を打ちます。最終章では、「神はいつでも語っておられる」と語る久米さんの確信を通して、「神の沈黙」が新たな意味へと変化していく旅路が描かれます。

私自身、これまで「長崎・外海・五島 黙想の旅」を企画・実施し、今年5月で第6回を迎えました。このツアーを始めたきっかけは、映画『沈黙―サイレンス―』の宣伝協力を行ったことにあります。そしてこの旅を重ねる中で、私がそれまで抱いていたキリシタン像は大きく覆されていきました。
かつては、お殿様が貿易の都合でキリスト教を受け入れ、民がそれに仕方なく従ったという表面的な理解しか持っていませんでした。しかし実際にはににキリシタンたちは赦しを求め、天国に希望を託し、意味もわからぬままオラショを唱えながら、信仰を守り続けていたのです。
歴史を振り返るとき、思い起こされるのは、ネロ帝による大迫害を経てキリスト教国となったローマ、そして日本や北朝鮮での迫害を経てリバイバルを経験した韓国の姿です。迫害の地には、必ず信仰の火が灯ります。私たちは信じています――この日本にも、やがてリバイバルの火が灯される日が来ることを。

この作品は、単なる記録映像ではありません。戦争、災害、社会の不条理の中で問い続けられる「神の沈黙」に対し、私たち一人ひとりに静かに、しかし深く問いかける霊的メッセージです。神は本当に沈黙しておられるのか? それとも、その沈黙のうちにこそ、臨在と憐れみの声が響いているのか?
歴史の沈黙に耳を澄ませるとき、そこに語られる神の声が確かにある――私たちはその希望を信じています。
願わくはこの作品が、① 殉教の証しを通して現代の教会を励まし、② 苦しみの中にある人々が沈黙の中に希望を見出し、③ 長く積み重ねられた祈りの実として、日本にリバイバルがもたらされることを、心より祈っています。

あなたがたは彼らの歩みとその行いを見て慰められる。 こうして、あなたがたは私がそこで行ったすべてのことが 理由なく行われたのではないことを知るようになる――主なる神の仰せ。 エゼキエル書/ 14章 23節(聖書協会共同訳)
7分のダイジェスト版 →https://www.youtube.com/watch?v=RuUbFD4y5VI
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