「これはキリスト教映画ではないですが、素晴らしい映画です」とのお声かけを頂き、試写版を観る機会を得ました。しかし鑑賞後、今秋フランスとポーランドを訪ねて知ったある村の出来事と重なるように思え、急ぎ原作本※を入手。最後の用語解説の項目を読み、飛び上がらんばかりに驚きました。
そこに、「この映画はフィクションですが、フランスのル・シャボン・シュル・リニョン村(Le Chambon-sur-Lignon:後リニョンと記載)を元にしています」とあり、更に「マドモアゼル・プティジャン(作品では女性教師で捕らえれたユダヤ人学生に寄り添い自らナチスのトラックに同乗し殺害された)は、メゾン・ド・ロッシェという学校長ダニエル・トロクメから発想を得ました」と。
そうです! この作品の根底には村全体がユグノーであった実在したリニョンの村人たちの信仰の物語があったのです。ホロコーストの惨禍から多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラー(カトリック)や杉原千畝(早稲田奉仕園で信仰告白し、ロシア正教で洗礼)以外に、未だ知られていない真実の物語があることをこの映画を通し、多くの人々に知って頂きたいと熱く願っています。2024年のクリスマス、きっと日本各地の映画館から福音と平和の感動の波が広がっていくことでしょう。
1934年、フランス南部山岳地域にある炭鉱と鉄鋼労働者中心の小さな村へ、アンドレ・パスカル・トロクメ(1901-71:写真)はフランス改革派教会牧師として妻マグダと共に赴任しました。アンドレ牧師はこの村での伝道牧会活動と共に、初等教育課程から高校までの学校“エコール・ヌーヴェル・セヴェノール”を共に絶対平和主義(徹底した非暴力による平和の実現)に立つエドゥアール・デイス牧師と1938年に設立。
映画に登場するように、1943年頃には350名を数える大きな学校となっていました。ここではプロテスタントだけでなく、カトリックやユダヤ人家庭からも差別なく学生を受け入れ、当時、南フランスを支配していたペタン政権から追放されたユダヤ人教授数名も教職員に名を連ねていたのです。そして遂にナチス・ドイツのユダヤ人迫害の嵐がこの地に及んだ時、歴史を紐解くと実に意味深い記録が残っています。
それは、村全体で組織的にユダヤ人やそれ以外のロマ(ジプシー)の人々を助けたのではなく、アンドレ牧師たちによる毎週の説教や学校教育の中で、人を差別することなく助けるイエス・キリストの神の教えを繰り返し聞いていたことにより、それぞれの家庭が自発的に各家庭や納屋、農場、森、山奥深くにかくまい助けたという事実。小さなこの村が危険を冒しても愛を実践したこと自体、あの暗黒時代における最大の奇跡の一つと称して良い出来事です。
更に、リニョンの村人ほぼすべてがユグノー(フランスのプロテスタントに対する蔑称)で、彼らの悲しい歴史的体験も影響していたことを知りました。それは、16世紀に宗教改革の波がフランスにも及んだ時、国土の約2割がプロテスタントに改宗。それ以上の拡大を恐れたカトリックによる大迫害(聖バーソロミューの大虐殺等)が続き、隠れキリシタンならぬ隠れプロテスタント村として山岳地帯の奥深くに潜んで生活していたのです。
数世紀に亘り、多くのユグノーがドイツ等へ難民として逃亡する際に、村人たちが山奥の隠れたルートを使ってスイスへと逃がしてきた経験がありました。それが、突然ユダヤ人が難民となりヨーロッパ各地から村へ押し寄せた時、彼らは自らの過去の痛みを思い起こし、自発的に彼らを匿い、かつての秘密ルートを使ってスイスへの逃亡を助ける(ここではフレンド派など組織的援助があった)ことになったのです。
映画中、ユダヤ人学生に寄り添い続けたマドモアゼル・プティジャンのモデルとは、アンドレ牧師の甥・ダニエル・トロクメ(1910-44:写真はマイダネク絶滅収容所内資料室で撮影)であり、彼は物理学教師から1941年に学校長となり、実はその働きの背後で、近隣の村々にも潜むユダヤ人たちを国外へ逃がす偽証パスポート作成を行っていました。そのことがナチス軍に知られ、遂に1943年6月、彼とこの学校のユダヤ人生徒を検挙に来た出来事は、正にあの映画で描かれた緊迫感そのままであったと思われます。
しかしその際、ダニエルは学校を留守にしており、彼だけ逃げることも出来ました。しかし捕らえられたユダヤ人学生18名の元へ戻り、共に強制収容所へと連行されたのです。そしてポーランド(現在ウクライナに近い町ルブリン)に作られたアウシュヴィッツに次ぐ大規模な絶滅収容所・マイダネクにおいて疲労と病気により1944年、34歳の生涯を終えました。
一度はナチスに捕らえられ死を覚悟したアンドレ牧師。不思議な形で解放され、幸い戦後まで生き延び、1954年には来日(東京・広島・長崎)し、生涯に亘って核廃絶と絶対平和主義を訴える活動を継続しました。戦後の調査で、1940 年 12 月から 1944 年 9 月までの間、リニョン村 (人口 5,000 人) と周囲の高原の村 (人口 24,000 人) の住民が、推定 5,000 人の人々を救助したことが分かりました。しかしこの驚くべき出来事は今も余り知られていません。
ですから、今回の映画「ホワイトバード」の上映により、多くの犠牲を払いつつ愛と勇気をもって苦難の中に置かれた人々を虐殺から防いだ、今も名前さえ知られていな多くのレスキュアー(救助者)達がいたことが現代社会に知らされることは大きな意味があるはずです。そして、映画の主人公サラの孫で、いじめ加害を経験したジュリアンの人生が変えられていったように、二度とホロコースト(ユダヤ人をはじめ、誤った民族宗教等への差別による大量虐殺)のような殺戮が歴史で繰り返さない「やさしさと勇気」を育む人々の原動力となる、心と魂を揺さぶる物語として今後も語り継がれていくことを熱く願います。
何よりの祈りは、私を含め、過去の歴史を忘れ、同じ過ちを繰り返す弱さと罪を持つ人間として、混沌とした現代に生きる世界中の特にキリスト者に映画を観て、この埋もれていた史実を知って頂きたいということです。
かつてユグノーたちがフランスで虐殺された悲しみの経験を通し、ユダヤ人を聖書の民だからという理由だけでなく、リニョン村の人々が苦難の中に置かれたどのような人々をも、宗教人種を差別することなく助けた、正にイエス・キリストの愛の教えに基づく彼らの信仰。そして、絶対平和主義を生涯貫いたアンドレ・トロクメ牧師たちが教会で語った、いかなる暗黒の時代においても、キリストが示された、武力によらず愛と平和を実現する教えを聞くだけでなく、行動へと移した彼らの信仰。この史実を思い起こすことで、今この時代、私たちがどう行動すべきかが、この映画から、そして平和の神から問われているように思えてならないからです。
「闇で闇は追い払えない。ただ光だけがそれを成し遂げられる」
映画の最後、主人公サラが人生を振り返り、引用する故マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉。これこそがこの映画が最も訴えたかったメッセージでしょう。あの暗黒時代、リニョンの村人たちが掲げた小さな光。この映画を観た一人ひとりの心と魂にも灯され、キリスト誕生を祝うクリスマスイブ礼拝(キャンドルサービス)のロウソクの光のように、周りの方々へも手渡され広がり続け、世界中を平和の光で照らす日が来ることを信じ祈ります。
リニョン村の資料館に、アンドレ・トロクメ牧師直筆で主イエスのこの言葉が展示されているそうです。
「幸いなるかな、正義に飢え渇く人々は。 その人々は満たされる」 (マタイ5:6節)
・公式ホームページ →https://whitebird-movie.jp/
・参考資料:
※ ほるぶ出版「ホワイトバード」 R.J.パラシオ 訳=中井はるの
書籍: “Jesus and The Nonviolent Revolution”Andre Trocme Herald Press 1973
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