神の恵みとその裏話 (52)第1回 乙女峠と萩・津和野・山口 黙想の旅 レポート ― 浦上キリシタンの苦難と希望の足跡をたどって、そして殉教者たちの祈りは、今を生きる私たちに!―
- Michio Isokawa

- 1 日前
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更新日:8 時間前

2026年4月23日から25日にかけて実施された「第1回 乙女峠と萩・津和野・山口 黙想の旅」(チャプレン 本郷台キリスト教会/池田恵賜師)は、総勢33名の参加者と共に、日本のキリスト教史上最も過酷な試練の一つである「浦上四番崩れ」の流配地を巡る巡礼の旅でした。この旅の目的は、単なる歴史探訪にとどまらず、弾圧の中で信仰を守り抜いた先達の足跡をたどり、現代に生きる私たち自身の信仰を深く黙想することにあります。

日本のキリスト教史における迫害は、江戸時代の国家安全保障上の弾圧と、明治前後の「国家神道による国民統合」を目的とした行政的弾圧に大別されます。今回の旅の主題である「浦上四番崩れ」は後者に属し、1867年から1873年にかけて長崎・浦上の信徒約3,400名が全国20藩に分散・流配された事件です。私たちは、その流配先の中でも特に厳しい歴史を持つ萩と津和野、そして布教の原点である山口を訪れました。
初日に訪れた萩はあいにくの雨でしたが、それは流罪に処された浦上キリシタンの涙のようにも感じられました。第一次・第二次を合わせて約300名の信徒が送り込まれた地で、最初に向かった「殉教者が眠る鶴江台」では、雨で足場の悪い中、ご高齢の参加者も共に歩いてくださいました。

1982年に建立された「殉教者の平和の十字架」がそびえ、ここは離れ離れになっていた家族が約2年ぶりに再会した場所であると同時に、多くの殉教者が最初に埋葬された地でもあります。2010年には十字架直下から流配者の遺骨が発見され、その事実が歴史の生々しさを物語っていました。
個人では通常見学できない「報恩寺」では、驚くべき歴史に触れました。禁教令下、当時の住職がキリシタンをかくまい、本堂の須弥壇(しゅみだん)裏に隠された祈りの空間を提供していたと伝えられています。住職は大声で読経し、信徒たちの祈りの声が外に漏れないよう守ったといいます。
また「萩キリシタン殉教者記念公園」では、雪の中に裸で座らされる拷問に耐えた岩永ツルさんのエピソードに触れました。中央の碑に刻まれた「信仰のために命を捧げた者は神の前に尊い」 いう趣旨の言葉を前に、私たちは心の中で祈りを捧げました。
今回ガイドを務めてくださった S 氏は、昨年の下見の際に主が備えてくださった方で、癌と闘いながらも奉仕してくださいました。彼の証しに多くの参加者が心を動かされました。また、彼は私が初めてソニー・ピクチャーズと協力した映画『天国はほんとうにある』でイエスに出会ったと語ってくださり、映画伝道に携わる者として大きな励ましを受けました。

2日目は、今回の旅のハイライトともいえる津和野の「乙女峠」へ向かいました。津和野藩に流された153名の信徒は乙女峠の「光琳寺」に収容され、極寒の「氷責め」や、身動きも取れない「三尺牢」への拘禁といった凄惨な拷問にさらされました。
特に心に刻まれたのは、6歳の殉教者・岩永もりちゃんの物語です。迫害による飢えに苦しむ中、「キリストが嫌いだと言えばお菓子をあげる」と誘惑されても、彼女は拒み、「パライゾに行けば、お菓子でも何でもあります」と答えて永遠の幸いを選び、天に帰りました。天国への希望が彼らを支えていたことがよく分かります。

現在の乙女峠には美しいマリア聖堂が建ち、森の中には「十字架の道行き」が整備されています。80歳を超える参加者を含め、多くの方が一歩一歩、殉教者の苦しみを思いながら山道を歩む経験は、五感を通して信仰を体得する貴重な時間となりました。また、郷土史家の Y さんの解説に、皆様が熱心に耳を傾けておられた姿も印象的でした。 千人塚や墓標を前にした黙想を通し、私たちが享受している「信教の自由」が、どれほど尊い犠牲の上に成り立っているかを深く思わされました。

カトリックでは毎年5月3日に、「乙女峠まつり」として、多い時には1200名以上信徒がミサに参加することと、この殉教者の歴史を後世に残すために、ビリオン神父とネーベル神父が尽くされたご苦労についても、プロテスタントの方々にはあまり知られていません。
最終日は、フランシスコ・ザビエルが1550年に布教の拠点を築いた山口を訪れました。山口サビエル記念聖堂では、片柳弘史神父による「祈りについて」のメッセージに耳を傾け、参加者は大きな励ましを受けたことと思います。

また、訪問直前に世界ジオパークに認定された「秋吉台・秋芳洞」の見学は、黙想の旅に新たな視点を加えました。悠久の時をかけて形成されたカルスト台地の壮大な景観は、人知を超えた創造主のわざを感じさせます。過酷な歴史の舞台となった萩・津和野のすぐ傍らに、これほど豊かな自然が広がっている事実は、神の慈しみと厳かさを同時に示しているようでした。
3日間の行程を終え、現地参加の方を除き、私たちは山口宇部空港から帰路に着きました。参加者の多くはプロテスタントの信徒でしたが、教派を超えて「信仰の先達」の思いを共有できたことは、日本の教会全体にとって大きな意味を持つと感じています。

私たちは萩や津和野で、かつてのキリシタンたちが流罪を「旅」と呼び、死を恐れず信仰を貫いた姿を見ました。その「旅」は、禁制が解かれた1873年で終わったわけではありません。わずか80年前には治安維持法のもとで、主にホーリネス教団の牧師たちが弾圧を受けました。そして現在も、同じような危うい空気が漂い始めています。
この黙想の旅で得た気づきと平安を胸に、私たちはそれぞれの日常という戦場へ戻っていきます。乙女峠の三尺牢を照らした「光」が、これからも私たちの歩みを導き続けると信じています。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。ピリピ1:29【口語訳】

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